願海寺新聞 第29号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第29号

発行:2016年3月

こんにちは!北陸新幹線開通から3/4で一年になりますね。皆様もう乗られましたか?!さて、2/21(日)には第3回目となる『楽しい仏教入門』を無事終えることができました。今回は浄土真宗のみ教えの基本的な部分と、蓮如上人の御言葉をお味わいさせて頂きました。
次回は4/18(月)18:00~19:30で開催致します。仏教に興味のある方ならどなたも歓迎です!春なので夜の本堂も清々しくて気持ち良いと思いますよ~♪共に楽しく学びましょう!! 弦

願海寺あれこれ

明治の廃仏毀釈はまだたった150年ほど前、私たちの3~4代ほど前の御先祖様の時代の出来事です。ここから私たちが学ばせて頂くべきことは、国家の政策ひとつで宗教や信仰に対しての制限や弾圧、ひいては民衆の自由が奪われるという恐ろしいことが簡単に起こりうるということではないでしょうか。実際、この国家神道を推し進めることによって日本は戦争へと突入し多くの犠牲を生んでしまいました。しかし、それは国家神道が悪いと言いたいのではありません。
重要なのは、私たち人間が決める価値基準に絶対のものはないということです。
なぜなら私たち人間は自分の損得でしか行動できないからです。
現に、戦争で多くの犠牲を生んだ日本人であるのに「日本製の武器輸出解禁は景気対策になり正しいこと」とおっしゃる政治家の方がおられます。
仏法の上では「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(『ダンマパダ』132)」ですから、人を殺めるための武器を経済のために用いることは決して容認されないでしょう。
歴史を見つめることにより、自分たちの現在の状況を省みることが今の私たちに必要な態度なのではないでしょうか。以上で12月号より3ヶ月に渡りました廃仏毀釈のまとめと致します。

Q『仏教って先祖供養のためじゃないの?』

お葬式、ご法事、月命日のおまいりなど、お経やお聖教(しょうぎょう)を読む(おつとめをする)ことによって、その功徳をもってして亡き方を供養していると思っておられる方は多いのではないでしょうか。しかし、もし私たちがご先祖様を供養しているとするのなら、その供養には行う人(家)の境遇や環境によって大きく差が生じてしまいます。また、どうしても直接知らない御先祖様に対してはその思いを抱くことも難しくなります。これでは完全な供養とはならないでしょう。ここでもう一度確認しておきたいのは、仏教の主人公はいつだって「この私」ということです。阿弥陀様は「オマエを必ず救い摂(と)る」と私に向けて声を届け続けてくださっています。つまり、おつとめ(読経)も私に向けられている仏さまのお声を聴かせて頂いているのですね。その阿弥陀様からのお救いを疑わずにお念仏を喜ぶ身となれば、この世での命を終えたとき間違いなく阿弥陀様の極楽浄土(ごくらくじょうど)へ往(い)き生(う)れることができます。
そして、お浄土に往き生れるとただちに仏と成らせて頂け(往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ))、次いではまだこちらの世界で迷いもがいている人々を救おうというはたらきとなってこの世界に還りきてまずは有縁の人々から教え導くのです。
そうです、私たちが仏さまを念じて手を合わせているその姿、そこには私に至る数えきれない御先祖様がそばに寄り添ってくれているんですね。なんとありがたいことでしょう!「なんまんだぶ」のお念仏は「やすらかに休んでね」でも「病気を治して下さい」でもありません。仏さまが私のことを救うぞと願っていてくださる、そのありがたさに気付かせて頂けた上はどんなときも「ありがとうございます」の感謝のお念仏となるのです。私が喜んでお念仏している姿を仏と成られた御先祖様たちは喜んでくださっていますから、御先祖様への御恩を忘れず、「私のこと」としてお聴聞し続けていきましょう!  なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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