願海寺新聞 第31号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第31号

発行:2016年5月

南無阿彌陀沸 世の中安穏なれ

こんにちは!1ヶ月が本当にあっという間です。ついこの前4月号を書いたばかりのつもりでしたのに、はや5月号の締切が間近です(笑)。
今年は桜も短かったですね。今は新緑がとてもキレイです。桜の木を見て思うのは、見事な花を咲かせるのは1年のうちのほんの数日だけど、木は365日頑張って生き続けているんだということです。花がないと誰も見向きもしないけど、ただじっと頑張っているんですよね。これは私たちの人生にも同じことがいえると思うのです。自分の力で思うように活躍できる年月は人生のうちのほんの一瞬でしょう。いや、思うようにならないけれど私たちは日々を頑張って生きている。生きたくなくても生き抜かねばならない。そんな苦しみの中を生きる私たちに阿弥陀様は寄り添ってくれているんですよ。そして、共に喜び、共に悲しんでくれているんです。私たちは決して一人じゃないんですよ。ありがたくお念仏と共に今日を生かせて頂きたいですね♪弦

願海寺あれこれ

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の法難の後、明治7年(1874年)から現在まで142年も願海寺があります清水町3丁目の境内地は、門徒総代・貴堂伝四郎様(現当主・義晴様から5代前)から寄進を受けた場所です。願海寺が来る前はこの地には、江戸時代(安永9年/1780年)に芝居の行われる舞台が建てられ、明治元年(1868年)まであったそうです。その跡地900坪を境内地として頂いたそうです。
書籍『鼬(いたち)川の記憶』(桂書房・2004年)によりますと「願海寺境内に当時の芝居橋(石橋)が残っている」とあるのですが、これが何を指しているのかは現時点では分かりません。
廃仏毀釈の波によって富山のほとんどの寺院は境内地を失いましたが、この明治7年頃からいくつかの寺院は新しい境内地へと移っていったようです。

Q『仏教は老後に聞けばいいものなの?』

仏教では大前提として、世の中を“諸行無常(しょぎょうむじょう)”と見ます。
“諸行無常”とは「世の中の全てのものは常に変化し続けておりとどまることはない」という意味ですから、すなわち今あるものが明日もあるとは考えられないわけです。
つまり、私たちは「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身」(『御文章』「白骨章」)なのです。確かに現代の日本は長寿大国と呼ばれ、80代でも健康でおられる方が珍しくありません。ですが、だからといって自分自身がそんな年齢まで生きられる保証はどこにもありませんね。そのようなはかない命の私たち人間ですが、では、人間は死んだら終わりなのでしょうか?
先に亡くなられた方を想うとき、どこかで見守っていてくれているような気持ちになることはありませんか?私にはあります。よくあります。ということはその亡き方は「死んで終わっていない」んですね。また、「天国に行く」なんてよく聞きますが、本当に天国に行ける保証はどこにあるというのでしょうか?
そもそもキリスト教のHEAVEN(ヘヴン)(天)、神道(しんとう)の死後の世界、仏教の天界や浄土は全て異なります。親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「とても地獄(じごく)は一定(いちじょう)すみかぞし(私こそは地獄に落ちる身なのだ)」(『歎異抄(たんにしょう)』)とおっしゃいました。殺生(さっしょう)をし嘘をつき生きている私たちは、このままでは必ず地獄に落ちるのです。そんな地獄行きが間違いないこの私がいるからこそ阿弥陀(あみだ)様は「必ず救う」と願いを起こされ、お浄土を建立し「お前を必ず仏とする」と私に向けてずっと光を届け続けてくださっているのです。そのお心を聴かせて頂く、そして疑いなく受け容れる。とはいっても「ほんまかいな?」と疑ってしまう私がいます。また、素直に喜べない私がいます。でも、だからこそ若いうちから仏様の教え(仏教)を聴き続けていくことが大切なのです。そして、この一生をかけてお育てにあずかるのです。
「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのはとんでもないことである。仏法においては明日ということがあってはならない」と蓮如上人(れんにょしょうにん)はおっしゃいました。(『蓮如上人御一代記聞書』)。
明日終わるかもそれないこの人生を空しく終えないため、早くから仏様の教えを頂いていきましょう!
なもあみだぶつ♪

行事案内

・5/29(日)10:00~/13:00~ 願海寺・永代祠堂経法要
・6/4(土)6/5(日)14:00~ 本願寺富山別院・三大法要
・6/26(日)13:00 楽しい仏教入門

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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