願海寺新聞 第32号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第32号

発行:2016年6月

過去はすでに捨てられた
未来はまだやって来ない
ただ今日なすべきことを熱心になせ

こんにちは!また「あっ」という間の一ヶ月でした。今年ももうすぐで半分ですね。そう思うと人生とは本当に短いものなんだなと改めて痛感させられる今日この頃です。
もうすぐして梅雨になれば「雨だし気分も落ち込んで今日は悪い日だ」なんて言ってしまう私がいます。でも、その一日も人生の貴重な一日。良くするも悪くするも自分の心次第なんですよね。なまんだぶ。
さて、来る7月12日(火)には800年前に願海寺が発祥した地である立山町・栃津のお堂にておつとめを致します!
自然いっぱいの中にあるお堂でのおつとめはとても清々しいですよ!是非とも皆様にお気軽にご参加下さい!(お申し込みはお電話にて)
それでは、暑くなってきますので、どうぞ御自愛くださいませ。

願海寺あれこれ

今から142年前の明治7年(1874年)に現在の清水町3丁目の地に移ってきた願海寺ですが、当時は現在の願海寺前にある平和通り(西町から立山町方面へ続く大きな道路)はまだなく、道路の向こう側まで願海寺の境内地だったそうです。
そして、現在の願海寺本堂は北(平和通リ側)に向いて建っていますが、当時は西(いたち川側)に向いて門があり本堂が建っていたようです。
ただ、本堂が建ったりした年代については伝承がなく分かりません。
願海寺には江戸後期以降の文書(手紙や記録帳など)がある程度現存していますので、もしかするとその中に何か書かれているかもしれませんが、簡単には読み取れず調べられずにいます。なにやら境内地の図面のようなものもあるので、今後頑張って調べていきたいと思っております。

Q『仏教って死後のことだけじゃないの?』

「仏教って死後のことばかり言ってて暗い」なんて言われることがあります。
確かに仏教では「死」がよく出てきます。でも、それは絶対に逃れることのできない「死」をごまかさずにまっすぐ見つめていこうということなのです。死をまっすぐ見つめることにより浮かび上がるのは、二度とない今この一瞬の尊さありがたさです。つまり、「死」を見つめることで「生」が鮮やかにクッキリと浮かび上がるのです。
もうひとつ、たとえば仕事などで外出中に自宅が火事になれば仕事どころじゃなくなってしまいますよね?やはり帰る家がちゃんとあるから私たちは安心して仕事に臨めるわけです。そのように、私たちがこの世での命を終えたときの還(かえ)る場所として、お浄土という世界を阿弥陀(あみだ)様が用意してくださっているのです。そんな還る場所、お浄土という拠(よ)り所(どころ)が確かにあると信じられるからこそ、今を生き抜く力も湧いてくるのです。「そんなものなくたって自分の努力で頑張ることが大事だ」と思われるかもしれません。確かに努力は大切です。ですが、努力至上主義になってしまうと、私たちはどうしても自分中心のものの見方しかできなくなり、「勝ち/負け」、「損/得」、「善/悪」という二項対立に陥ってしまいがちです。
自分一人が勝ち続けたら幸せでしょうか?勝では次に負けるかもしれないという不安と苦しみも増すのです。努力、努力で自分ががんじがらめになってはいませんか?
仏教は「自分が苦しまないための教え」です。自分が苦しまないために、自分中心のものの見方から離れなさい(自他一如(じたいちにょ))、満足することを知りなさい(少欲知足(しょうよくちそく))と説かれています。
「そんなこと分かってる」という方もおられるかもしれません。私もそういうタイプでした(笑)。
でも、それこそが「自己にがんじがらめになっている有り様」なんですね。
そんな自己を打ち砕いてくれるのが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」のお念仏であります。
お念仏によって私たちは自分の有り様に気付かせて頂ける。そして、この「南無阿弥陀仏」によって現世での命が尽きたときすみやかに必ず仏に成らせて頂ける「正定聚(しょうじょうじゅ)」の位に定められるのです。
お念仏と共にこの命を大切に、そして健やかに歩ませて頂きましょう!
なもあみだぶつ♪

行事案内

・7/12(火)14:30頃~ 栃津房舎おつとめ
・8/14(日)10:00~ 願海寺・初参式
・8/15(月)18:00~19:30 楽しい仏教入門
・8/16(火)13:00~14:30 楽しい仏教入門

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞