願海寺新聞 第42号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第42号

発行:2017年4月

生まれを問うな 行いを問え

こんにちは!いよいよ春ですね。願海寺本堂にて2015年10月より2ヶ月に一度開催しております『楽しい仏教入門』もこの4月の開催でいよいよ第10回目を迎えました。初めての試みということで手探りしながらの会ですが、少しずつご参加くださる方も増えてきて、共に学びを深めていける喜びを毎回かみしめております!
仏教学者の佐々木閑先生は「仏教は心の病院」と表現されています。全くその通りだと思います。ですが、「仏教は病院ですから、病気でない人には全く必要ありません」とおっしゃっていることには少し疑問があります。病院では病気を防ぐための予防接種も受けるように、仏教には、人生の中で災難(苦しみ)が突然襲ってきたときに、その災難にただ飲み込まれてしまわないよう心(考え方)を整えておくという面もあるのです。そうです、仏教は常に「わがこと」です。仏教には私がこの苦しみの人生を生き抜くための智慧が満ちています。そして、そんな仏教を聴かせて頂く場としてこそ寺の存在意義はあります。ですから、どうか皆様まずは一度お気軽に『楽しい仏教入門』に遊びにいらしてみて下さい!共に楽しく学びましょう♪ なまんだぶつ 合掌 弦

願海寺あれこれ《歴代系図(『新井山願海寺史攷』より》

初代・願海房 信性
二代・    清寿
三代・    清尊
四代・    信教
五代・    信誓
六代・巧賢
七代・巧専
八代・巧圓
九代・巧恵
十代・巧秀
十一代・巧真
十二代・巧正
十三代・巧空
十四代・了性
十五代・巧昌
十六代・巧性
十七代・賢周
十八代・巧玄
十九代・巧善
二十代・巧永
二十一代・霊瑞院 巧正
二十二代・巧寛 法師
二十三代・量得院 巧誓
二十四代・定安院 巧意
二十五代・法性院 巧海
二十六代・超生院 巧英
二十七代・深信院 巧沖
二十八代・    巧英
二十九代・願行院 巧昭
三十代・心月院 巧宣
三十一代・(前住職) 巧演
三十二代・(現住職) 巧隆
以上、1211年 開基の初代より現32代

Q『四苦八苦ってなあに?③』

今回も前回(3月号)に引き続きまして四苦八苦(しくはっく)の「怨憎会苦(おんぞうえく)」についてです。
NHK『ニュース シブ5時』という番組内のお悩み相談コーナーでも人間関係の相談が一番多く寄せられているそうです。それほど「怨憎会苦」も私たちの生活にピッタリと張り付いた苦しみであるということなのでしょうね。
そんな「怨憎会苦」といういことで、「嫌いな人」について考えてみたいと思います。
たとえば、ある人が私のことを思って厳しいことを言ってくれたときに、それが私の思いにそぐわないと私の心は不快に感じ、その相手を「嫌いな人」にしたりします。でも、その「嫌いな人」が次に会うととても私に優しく親切にしてくれて、しかも欲しかった物までプレゼントしてくれたりしたら「良い人」に変えたりします。厳しさも優しさもその人が本来持っていたはずのものであるのに、私の都合・見方によって私の心はコロコロ変わり、「嫌いな人」「良い人」と決め付けています。そんなコロコロ変わる心を持った私が考える「善・悪」「好き・嫌い」「正しい・間違い」なんて思いは不確かなものです。なのに私たちは不確かな自分の思いを「確かだ」と疑わずにいることによって誤った認識を作りだし、その結果、自分自身で苦しみを生じさせているのです。ですから、「嫌いだ」という思いに支配されそうなときは、「ちょっと待てよ、この感情は私の勝手な都合じゃないか?」と冷静に自分自身に問うてみると良いかもしれません。もちろん、そうしたからとすぐに「好きだ」となることはありません。でも、そこで「不確かな自分」に気付かせて頂ければ、心のありようも、世の中の見え方も、今までとは少しずつ変わっていくのではないでしょうか?!
そして、その気付きをくれるのが「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」の念仏のおはたらきです。
念仏を通して自分の有り様(いつも自分中心の歪んだものの見方をする私)が見えるようになってくる。そして、そんな私だからこそ、この一生をかけて念仏によってお育て頂いていく。それがこの浄土真宗の仏道(私が仏と成らせて頂く道)であります。
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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