発行:2019年10月
こんにちは!みなさまいかがお過ごしでしょうか?!今月は書くことがたくさんあるので、箇条書きにてお伝えします(笑)。
①8/27~28に年に一度の大行事『仏教講習会&檀波羅蜜法要』が願海寺を会場に開催されました。
門信徒の方々のご懇志によって運営できておりますこと、喜ばせて頂くと共に御礼申し上げます。
②9/14には『やさしい真宗おはなし講座』を真宗山元派新門・藤原智之師をお迎えし開催致しました。
③9/18は、親鸞聖人の日野家(奈良・名称寺さま)によって新潟・上越にて恵信尼さま(親鸞さまの奥様)の750回忌法要が営まれました。願海寺も近しい関係ということでお呼び頂き、私・巧弦がお伺いしてきました。その様子は『上越タイムス』9/20号に掲載されているようです。(私は見ておりませんが…)。
④9/20は月に一度の『がんかいじこどもしょくどう』を楽しく行いました。5月に始まり、早くも第5回!頑張って今後も継続させていく所存です。ボランティア参加や、運営費のご協力などもお願いできますと大変幸いです。
⑤10月からは富山市内各寺院での報恩講法要も始まります。願海寺では11/3~4に勤修致します。恒例(?)の「遺徳カレー」(功弦オリジナルスパイスカレー)や、去年に引き続き音楽法要(3日のみ)など、お寺が初めてという方にも親しみやすく、喜んで頂ける場を創造していきたいとチャレンジしております。報恩講は浄土真宗で最も大切な行事です。門信徒のみなさまにはどうかご都合をつけてご参詣くださいますよう心よりお願い申し上げます。
南無阿弥陀仏 合掌 弦
~仏説無量寿経上巻~
法(ほう)を宣(の)べんと欲(ほっ)して欣笑(ごんしょう)を現(げん)ず
いづれもいづれも、この順次生(じゅんじしょう)に仏(ぶつ)に成(な)りてたすけ候(そうろ)ふべきなり。
わがちからにてはげむ善(ぜん)にても候(そうら)はばこそ、念仏(ねんぶつ)を回向(えこう)して父母(ぶも)をもたすけ候(そうら)はめ。ただ自力(じりき)をすてて、いそぎ浄土(じょうど)のさとりをひらきなば、六道(ろくどう)・四生(ししょう)のあひだ、いづれの業苦(ごうく)にしづめりとも、神通方便(じんずうほうべん)もつて、まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなりと云々(うんぬん)。
この現生(げんしょう)での父母だけが特別な存在ではないということは分かるけれども、現実として、もし亡き父母が地獄に行っていたとしたらどうしようという思いが私たちにはあるでしょう。
しかし、宗祖(しゅうそ)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)は追善供養(ついぜんくよう)としての念仏は否定なさっていたわけです。では、それは宗祖は父母を見捨てよとおっしゃっているのか?決してそうではありません。
冒頭には、先月の『歎異抄(たんにしょう)』「第五条」の続きを記しました。「この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり」、そう、地獄に堕(お)ちた人を救いたいと願うならば、まずこの私が命終(いのちお)えるときにきちんと仏に成らせて頂いて、そこから救っていきなさいとおっしゃるのです。なぜなら地獄だけでなく、この人間界(にんげんかい)も流転輪廻(るてんりんね)、すなわち迷い苦しみの世界でありますから、その迷い苦しみの真っ只中(まっただなか)にいる私たちが自分の力でもって地獄の人を救おうなどというのは無理な話なのです。ましてや、この世(よ)で悪業(あくごう)ばかり重ねてしまっている私でありますから、その必然たる結果として私までもこのまま地獄に堕ちたならば、それこそ他者を救う望みは完全に絶たれてしまいます。「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」は、言葉の仏(=聞こえる仏)となって私に寄り添っていて下さる仏さまからのおはたらきです。それはつまり私が称(とな)えているのではない。迷い苦しみの中に深く沈むこの私こそを必ず救うのだという阿弥陀如来(あみだにょらい)の悲痛な叫び声であります。その如来の願いの力に乗ずるからこそ、私が仏に成らせて頂ける。そして、仏に成らせて頂けたならば、如来と同じ智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を具(そな)え、その神通力をもってして自在に救っていくことができるのです。地獄行き間違いないこの私が救われていき(往相(おうそう))、そこから他の一切衆生(いっさいしゅじょう)を救うはたらきが展開されていく(還相(げんそう))、これが仏教・浄土真宗の仏道であります。なもあみだぶつ♪
新潟と縁の深い親鸞さまの奥さまのお名前は?!
1.卑弥呼さま 2.恵信尼さま 3.韋提希さま
★先月の答えは「3.呪文の念仏」でした!