発行:2020年2月
こんにちは!積雪のない冬の富山ですが、皆様がこれを読んでくださっている2月にはどうなっているでしょうか?!
さて、この『願海寺新聞』も早いもので第76号です。2013年11月の第1号から76か月も続いているということですね!この2月号が76号ということは来年(2021年)2月号が88号、再来年(2022年)2月号で100号となるわけです。50号の時(2017年12月)は「100号までまだまだ遠いなぁ~」なんて思っていましたが、あと2年と思うといよいよもう少しだなと感じます。そして「100号になったら少しお祝いなんてしたいな」と考えたりしてしまうのですが、そうやって浮かれていると、お釈迦様の「過去はすでに捨てられた。未来はまだやって来ない。(中略)ただ今日なすべきことを熱心になせ」という御言葉を思い出して「ハッ」とさせられます。そうです、決して「100号」が目的なわけでなく、とにかく毎号毎号を一生懸命に心を込めて書かせていただく、ただそれが大切なのでありました。
「ただ今日なすべきことを熱心になせ」とても難しいからこそ、この私にとって大切な尊いみ教えであります。合掌
南無阿弥陀仏 (弦)
いま仏に値ひたてまつることを得、また無量寿仏の声を聞きて 歓喜せざるものなし
仏説無量寿経 下巻
『歎異抄』全体を通して強調されているのは他力の信心の大切さ、そして信心を自分勝手な理解で誤ってしまわないようにということです。
『歎異抄』には全十八箇条のどれよりも文字数の多い後序(ごじょ・あとがき)が添えられていますが、後序ではまず真宗の他力の信心について、親鸞聖人がお師匠の法然聖人のもとにおられたときのエピソードが綴られていますので、そこでの法然聖人の御言葉を御紹介致します。
源空(法然さま)が信心も、如来よりたまはりたる信心なり。
善信房(親鸞さま)の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。
されば、ただひとつなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ
この「如来よりたまはりたる信心」が浄土真宗の信心の核心です。信心は決して自分の思いや努力で起こすものではないとされるのです。もちろん世間一般的には「自分が信じる」というのが信心でありましょう。けれども、そもそも信じる心(悟りを求める心)など持ちえないのがこの私であって、だからこそ如来の清浄な願いの心が私に至り届いて下さっていると頂くのが真宗のみ教えなのです。そしてその願いが声となりあらわれたすがたが「南無阿弥陀仏」なのですね。
如来さまより賜る信心ですから、法然聖人は「されば、ただひとつなり」とおっしゃいます。信心が同じだからこそ、必ず同じお浄土に往生させて頂けるわけです。実に明快な論理ですね。
如来より信心を賜るというのは、「一人で生きていると思っていたけれど、私を願い続けて下さる尊い仏さまがおられるのだ」と疑いなく「南無阿弥陀仏」と聞かせて頂くことです。自分を過信し、仏さまを疑ってばかりの私であったけれども、私を摂め取って捨てはしないと包んで下さる仏さまがいて下さったというその出遇いは、迷い苦しみの人生を照らし導く光明となるのであります。
如来の大慈悲を喜び、「南無阿弥陀仏」とご報恩のお念仏を申させて頂きましょう!
なもあみだぶつ♪
『歎異抄』の著者がどなたであるかは諸説ありますが、現在もっとも有力とされているのはどなたでしょう?
1.法然さま 2.蓮如さま 3.唯円さま
★先月の答えは「3. 33回忌」でした!