発行:2020年12月
こんにちは!例年より規模を縮小しての11月3日の願海寺 報恩講法要でしたが、皆様のお陰をもちまして無事に終えることができました!
さて、800年前に願海寺が始まった地である立山町栃津には、現在もその境内地が守り続けられており、親鸞聖人御分骨六角堂(親鸞さまの御墓)があることは皆様ご存知ですよね?!
この六角堂も傷みがかなり激しくなってしまっているため、その修復と、栃津を未来の人たちへ受け継いでいくためのプロジェクトを始動させるべく今年の夏から準備を進めていまして、2021年春頃に始動できればと思っています。このことは単に願海寺としてだけのことではなく、越中富山の文化史、民族学としても重要なことですし、親鸞聖人のお墓ですから浄土真宗全体としても大切なことであります。
私・巧弦がこのプロジェクト責任者を務めることになりましたので、人生を費やす覚悟で遂行していきます。どうか皆様のご協力も賜りますよう宜しくお願い申し上げます!
合掌 南無阿弥陀仏
(巧弦)
いま仏に値ひたてまつることを得、また無量寿仏の声を聞きて歓喜せざるものなし。
心 開明なることを得たり。
『仏説 無量寿経 下巻』
聖徳太子が621年に亡くなって後、奈良時代(8世紀)の聖武天皇の頃には、国家事業として仏教寺院の建立などが行われ、有名な奈良の大仏も造られます。
これは仏教の力をもってして天然痘など流行病を終焉させる祈願としてであり、つまり、仏教が「護国」のために用いられていたことを示します。また、僧侶という存在とその身分(位)も国家の一部として制度化されていました。
平安時代(9世紀)には、最澄さまや空海さまが遣唐使として中国に渡り当時最新の仏教(密教)を学び、帰国後に天台宗(最澄)、真言宗(空海)を開創しました。
そして、平安末期~鎌倉時代(12世紀末~13世紀)、法然聖人(浄土宗)、その弟子 親鸞聖人(浄土真宗)、日蓮上人(日蓮宗)、道元禅師(曹洞宗)といった祖師方が牽引し鎌倉仏教ムーブメントが起きます。これによって、それまで国家や貴族など僅かの人のため仏教にになってしまっていた仏教が一気に民衆の間に広まりその心を支える存在となります。
祖師方教えの内容はそれぞれ内容は異なるわけですが、仏教とは「私が仏と成る道」であり、また大乗仏教として「全ての人が悟りへと至ることができる道」だという本質が示されています。中でも、特に浄土教においては「救い」という点が協調されていきます。それは、平安末期には世の中が乱れ、一部の貴族が華やかな暮らしを謳歌する一方、多くの民衆は貧しさと飢えに苦しんでいたという格差の大きい社会において必然だったのでしょう。
この状況は現代の日本ともきわめて重なります。政治や社会の乱れは人間によるものですが、人間の力を超えた新型コロナウイルスによる脅威も起きているわけであります。
「あたりまえ」だと思っていた日々の営みや人生が「当たり前」ではなかったと知らされた今、私たちが心豊かに生き抜くためには「宗教」の力が必要でありましょう。
令和の大乗仏教ムーブメントの勃興を念願するばかりです。
なもあみだぶつ♪
最澄さまが開かれ、法然さまや親鸞さまがご修行なさった比叡山延暦寺は、京の都から見て“北東”に位置しています。
さて、その理由は次のどれでしょう?
①朝日の眺めが素晴らしいから
②琵琶湖の水が得やすいから
③京の都の鬼門の方角だから
☆先月の答えは「1.教主」でした!
「平成の大修理」を終えられた高岡伏木の勝興寺さまですが、来る令和3年1月15日(金・)16日(土)の御正忌報恩講にて私・巧弦がご法話を担当させて頂くこととなりました。
皆様どうぞお参り下さいませ♪詳細はお問い合わせ下さいm(_ _)m