発行:2021年4月
こんにちは!2018年から挑んでいる本願寺派の「布教使課程」という試験の最終試験を1月と3月に受験しました。結果は「不合格」だったのですが、学びの機会を与えて頂け感謝するばかりです。
そして、「不合格」に落ち込む暇もなく(笑)、3月19日の『がんかいじこどもしょくどう』では久し振りに約50名もの参加で子どもたちの明るい笑顔に元気をもらい、さらに翌20日は、射水市・覚円寺さまからご縁を賜り、ご法話&ギター演奏で伺ってきました。さらには、ご門徒さまとの仏事を通しても、尊いお育ての中にいさせて頂いていることを感じさせられる日々です。いや、私がそのご恩を感じることができないときも、いつも私を願い続けて下さっている、そんな尊い御心の仏さまが阿弥陀さまでした。
冬も春も、泣いているときも笑っているときも、寝ているときも起きているときも、ずっと共にいて下さるのでありました。そのご恩を喜びお念仏申させて頂きます。
合掌 南無阿弥陀仏
[巧弦]
かの仏の光明無量にして十方の国を照らすに障碍するところなし。
このゆゑに号して阿弥陀とす。
『仏説阿弥陀経』
現代社会では、東京一極集中や核家族化によって「家」「家族」という在り方が変わっていっていますが、それまではだいたいの家庭にはお仏壇があり、決まったお寺の所属(檀家・門徒)でありました。では、これはいつ頃から始まったものなのでしょう?
たとえば願海寺ですと、800年前(鎌倉時代)の創建時から「門徒」という集団が形成されていたのは間違いないでしょう。ですが、当時は限られた一部の人(家)しかお寺との関わりはなかったと考えられます。
それが、江戸時代になると、幕府は民衆の戸籍の管理や、当時は禁止されていた異宗教の取り締まりを寺院に担わせるようになります。幕府の政策ですから、どの家庭も必ず決まったお寺(一宗・一ヶ寺)の所属にならないといけなかったのです。いわゆる「家の宗教」という概念の発生です。
戸籍全体なので、結婚や離婚なども寺院が管理していたそうです。今でいう役所のようなイメージですね。お寺にはご門徒さまのご命日など個人情報が記された「過去帳」というものがありますが、これも江戸時代より始まったものです(なお過去帳は一切非公開となり、如何なる事情においても閲覧して頂けない決まりです)。
以上のように、私たちに馴染みのある日本の家庭の宗教的環境は、信仰によってではなく江戸幕府の政策によって根付いていったものでありました。ただ、それは日本だけに限らず世界各国にもあることで、「家の宗教」を「チャーチ」、「個人の宗教」を「セクト」と社会学ではいうそうです。
「宗教」には、共同体を維持し発展させていく機能が備わっています。同じ信仰を共有し、繋がり合いを感じたり大切にしたりする中で、お互いの違いを認め合い、共に歩んでいく生き方が育まれていくのです。「家の宗教」がもたらしてきた繋がり合いの温かさを、今一度見つめ直していきたいものであります。
なもあみだぶつ♪
江戸時代に、どの家(人)も必ず決まった寺院の所属となるようにとした幕府の政策は以下のどれでしょう?
①寺請制度
②生類憐みの令
③参勤交代
☆先月の答えは「2.阿弥陀堂」でした!