願海寺新聞 第94号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第94号

発行:2021年8月

こんにちは!
先月に引き続き願海寺に残る古文書類の整理と、並行して願海寺の歴史の検証に挑んでいます。
願海寺に残る歴史史料(法宝物を含む)の約90%以上が江戸時代からのものです。
もっと古いものもあったはずですが、失われ現存していない、あるいはどこかに眠っています(ご門徒さまのところから見つかる可能性もあるでしょう)。

江戸時代以降の史料には、願海寺歴代住職の何名かが書き残されてた願海寺 縁起・由緒(歴史)があります。それらを読み比べると、内容が省かれたり、加えられたりといった異なる点が見つかります。
では、なぜそうなったのかであろうかと、根拠となり得る史料を探る必要があります。なかなか大変ですが、興味深く、夢中になっています。

お寺の歴史の中では、たった150年くらい前という最近のことについても謎な点があります。そのとき、どんな状況でな何を思っていたのかという「歴史」は失われてしまうともう取り戻せません。ですから、お寺に限らずどの家庭においても、書き残すなどして次の世代へ伝承していく大切さを痛感しています。
合掌 南無阿弥陀仏

ただまさに憶想して、心眼をして見たてまつらしむべし。
[ただ思いをこらし、心の眼を開いて明らかに見るがよい]
『仏説観無量寿経』

宗教ってなあに?~日本編⑫~

この数号に渡って考えてきました江戸時代の宗教事情について少しまとめてみましょう!

江戸幕府の布いた寺請制度などの政策によって、葬送儀礼やお墓などの宗教文化が定着していき、それに伴い「家」という共同体や、互いに支え合う地域コミュニティが成長します。さらには火葬場や墓地などの整備も進み生衛生環境面が向上するなど様々なメリットがもたらされていきました。
また、葬送儀礼などを取り仕切ることになった仏教寺院の運営基盤は安定し、寺院を包括する宗門(宗派)としても教義や歴史などへの研究が進みました。

では、なぜ江戸幕府は寺院に民衆を管理させるようにしたのでしょうか?
幕府の思惑には、まずキリスト教など他の宗教を禁止し排除することがありました。それと、家康は若い頃に一向一揆に苦しめられた経験があったことから、仏教寺院とそこに集結し抵抗しようとする民衆の力を封じ込めようとしたことがあります。そこで、幕府は寺院に対して一定の地位や経済基盤を保障することで、民衆を支配する構造の一翼として組み込んだのでした。
そのような中においても江戸時代には仏教思想が人々に浸透していき、「平等」という理念も確立されていったと考えられますが、しかし、その一方で、他宗教を信仰することで迫害を受ける人もいたという「不平等」な現実もあったわけです。
仏教寺院(宗教)とは本来そういった弱者にこそ寄り添っていくべきものでありますが、幕府という大きな力の下では逆に支配する側とならざるを得なかったことは悲しさを覚えると同時に「権力」の恐ろしさを痛感します。

まことの「平等」な世の中を実現するために私たちには何ができるのか。歴史から学び、感じ、考え、行動していく姿勢をしっかり持ち続けたいものであります。

なもあみだぶつ♪

QUIZ

願海寺は明治7(1874)年に現在ある富山市清水町に移ってきました。
では、それ以前の江戸時代にはどのあたりにあったでしょう?!

1 現在の日枝神社のあたり
2 現在の富山キラリのあたり
3 現在の富山市立中央小学校のあたり

☆先月の答えは「②遺体を土中に埋める」でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞